外国で生活することになりました

韓国・釜山での生活の日々を綴っています。韓国は大嫌いですが、改善されますでしょうか。。。

洋食がうまいって?~そんなバカな~

ある人から洋食を食べに行こうと誘われた。
誘った本人は、韓国の洋食はうまいと思っているらしい。
本人曰く、韓国の洋食は日本のレベルと変わらないとのこと。

どうにか断ろうとしているが相手も引かない。

昔、こういう人がいた。
「高級イタリアンを食べてきたの。」「どこで?」「カプ○チョーザ」「・・・」

それと同じだろう。

日本のコンビニレベルにすら及ばない韓国レストランの食べ物を美味いというくらいなのだから相当舌がおかしいのだろう。

ここで生活しているとこんなんばっかだ。

それはそうだ。なぜなら味覚がしっかりしている人がこの国に住み、外食に誘ってくることはないのだから。。

貧乏舌は幸せ~なんでも美味しく感じるなら韓国向き~

何を食べても美味しいと感じる貧乏舌。
若い頃はジャンクなものを食べても美味しいと感じるから否定はしない。

貧乏舌のママ渡韓すればそれはそれは幸せなのかもしれない。

30歳を過ぎて韓国に来ると韓国で食べる食事のほぼどれもこれもが美味しくはない。
たまにうまいものはあるが、それだけを食べるためにわざわざそこまで出向こうとまでは思わない。

貧乏舌なら、韓国内で食べる韓国料理も韓国料理以外のものも美味しく感じるであろう。

貧乏舌も訓練すれば治ることもある(かもしれない)。

だけど、韓国にいたままで貧乏舌が治ることはない。

K国人の作る韓国料理以外は食えないって~舌の問題~

韓国の韓国料理は世界一美味いのだから文句は無い。
しかし、K国人の作る料理は韓国料理以外は美味しくない。

世界一美味しい韓国料理の味をベースとして作られるその他の料理。

形や外観だけは真似すれども中身までは真似できず。
きちんと料理を学ばないのもあるが、根本的な問題として生まれ持った舌の問題がある。

幼少期から培われた味覚。一品一品の味を噛みしめるのではなく、全部乗せでミックスされた味で育つ。
野菜の味も肉の味も全てごちゃまぜにされて味わう。

甘味料入りの飲み物を好み、辛さを追求した物を食う。

食品の鮮度もわからなければ、素材の良さを引き出すこともない。

匂いの強いものを切った包丁で別のものも切る。

素材に包丁を入れる向きがあるのにもそれも分からない。

料理の順番というのも分からない。

と言ったところで変わってほしいとも変えてほしいとも思わないのでどうでも良いことではある。

だけど、こういう事もわからずに誘われるから困ってしまう。だから友達ができない。

韓国にカフェラッテは無いよ~カフェオレも無いけどね~

韓国の店でコーヒーを飲むなんてことはほぼない。
まずいものに金を出すほど金が無いのもあるが。。

先日、知り合いに連れられ嫌々カフェでコーヒーを飲んだ。
私は暑い季節でも温かいコーヒーしか飲まないので、カフェラッテを頼んだ。

知人の注文が長引きそうだったので、カフェラッテを作るさまを見ていた。

そうしたら、、、

なんと、ミルク(しかもスチームミルクではない)から先にカップに入れ後からエスプレッソを入れるではないか。
人気のあるカフェではないが、一応イタリアバリスタ(なぜか韓国発行)の免許は持っているらしい。

あ~あと思いながら、出されたものを飲んだが案の定まずい。
まあ、仕方がない。

気になって、他の店でもカフェラッテの作り方を見ていたがどこも同じだ。

やはり韓国のコーヒー事情は斜め上を行っている。

出される盃はおじさんの~駆け付け一杯~

韓国で食事をするのは苦痛だ。
韓国人特有の会食なんぞに呼ばれた日には青ざめる。

渋々顔をだすと、駆け付け一杯でまず飲めと言われる。

しかし出される盃はなぜか新しい盃ではなく、おっさんが飲んでいた盃。
気持ちが悪い。。。

しかしこれも韓国文化。老若男女問わずみんな盃を共有する。

若い女性が泣いていればおじさんがそっと盃を渡して飲めという。心温まる場面だが、出される盃はおっさんが飲んでいたもの。それを気にせず飲む女性。見ている方が気持ち悪い。

俺の中に韓国人の液体が入った。

イソジンでうがいをしても気持ち悪さだけが残った夜だった。

世界で一番遠い国~このような国は世界広しと言えどありません~

韓国は日本から距離的に一番近い国。
しかし、世界広しと言えどこれほど日本から遠い国は無い。

日本の裏側の国も住んだがそこは日本の心と共通する世界があった。
中東に行っても理解し合えたし、ヨーロッパでも理解し合えた。

しかし、ここ韓国は互いに理解などし合えない。

約束や契約などというものは破棄するためにあり、人々は常に嘘を付く。
自分らの都合が良い解釈に人の心を考えない文化。
自分さえ良ければよいで、人のことなぞ考えない。

どうして理解しあえるだろうか?

アッパラパーな日本人とキチガイ朝鮮人ならば理解し合えるだろうが、そんな奴らは朝鮮半島にでも住んでろよというやつで、分かり合えるなんてことはない。

世界広しと言えどこれほど我が日本国民と理解し合えない国などない。

韓国では住んでいる地域で人を区別することはできない~金を持っても生まれ持った根底は同じ~

日本でも世界各国でも住む地域によってその地域が発する空気感が変わり、そこに住む人々の「品格」も変わる。
韓国でもソウルの江南なら変わるのかどうかは住んだことがないので分からないが、
私の住む釜山では海雲台やセンタムあたりが高級地区だと言われるが、はたしてそこに住む人々に「品」はあるのだろうか?
答えは「否」つまり、品は無い。

日本ならば、高級住宅街に住む人間と庶民の住む地区に住んでいる人の行動様式や街の様子、または銀座と新宿、渋谷、上野の空気感が違うように雰囲気や違いが出るものだが、韓国ではそれがない。
日本と韓国の比較だけでは主観が出てしまうだろうが、私が住んだことのある他国でも同様の違いがあった。
それなのに韓国だけが違う(どこでも同じ)のだ。

それはなぜだろうか?

金持ちも貧乏人も食うものが同じだからだろうか?
金持ちも貧乏人も食事の所作が同じだからだろうか?

いや、それ以上に根底が同じなのだ。
朝鮮人として生まれた時から有する品ではなく格が同じだからだ。
品という言葉は韓国には存在しない。
その代わりに韓国人は格を重要視する。内面を表す品ではなく外見の格だけを備えている。

そのため、内面を重視せず外見だけを重視するから高級住宅地と言われるところでも、金融街でも内面が貧乏な人が居住し、内面の貧しい人間が闊歩する。
よって、生活様式も行動様式も貧乏人と何ら変わらない。

貧乏人と同じだからマナーも何もない。
わずかな金持ちの居住区域に成金の貧乏人が居住する。
基が貧乏人だから教養なんてものはない。
金を持っても金の豚になるだけで、食っているものは豚だから豚の餌だ。

生活様式も豚のままだから汚いまま。
精神も貧乏のままだから、考えも貧弱なままなのだ。

これほどまでに本当に金を持っている者と一時的成金の精神的貧乏者が同じ地域に住んでいる国というのは見たことがない。

そう考えれば、私の住む家も豚小屋の一角でしかないということに納得する。