韓国に住む人には結果を通知すればよく、きちんとした理由を言う必要はありません。
速度違反も制限速度を超えれば罰金。単純明快です。
会いたいと言われても会いたくなければ「会わない」と言うだけで十分です。
下手に理由を付けると、理由が気に食わないとか、情がないとか、失礼だとかあーだのこーだの言う始末。
加えて、理由の内容が理解できないようで、理由の理由を一から説明しなければなりません。
どうして飲酒運転が駄目なのか、消防車や救急車の通行時に車線を譲らなければならないのかという理由が必要なものは認知されません。
下手に譲歩してしまうと、全てが許されたと思って開き直る。
悪いことをしても理由を追求して理解するなんてことはしない。
結果が全てだから理由なんてものは必要とはしない。
理由を聞いても理由の意味が分からないから理由が分からない。
筋道を立てて考察するとか、起承転結だとかそういったことも気にしない人たちですから、単純に結論だけを言えば納得していなくても納得する(相手をしなければ納得せざるを得ない)。
長期的な視点とか後先を考えるだとか、将来性を考慮するだとかそういったことはせず、大変短絡的な考えをするので結果だけを突きつければ良い。
論理的思考とは無縁であるから、単純に駄目なものは駄目と小さなこどもに言うように結論だけを述べればよろしいのではないかと考える日々です。